北陸紀行 16

夕暮れに福井を発ち、羽田に戻ったときはすでに夜でした。電車で自宅へ向かう間は特に旅について思い返すことはなく、明日からまた始まる仕事に備えて早く寝ようとだけ考えていました。

翌朝。家を出るといつもの日常が押し寄せてきます。旅で蓄えてきた清涼な空気や孤独感は、日々の喧噪により徐々に切り崩されていくことでしょう。それが残り少なくなってきたとき、僕はまた旅に出ようと思います。

会社に着くと、退屈な仕事が再び始まるのでした。

一面の 蟹にポン酢を 撒く仕事

(北陸紀行 おわり)

北陸紀行 15

夕暮れに差し掛かった頃、僕は旅の終着点である東尋坊(とうじんぼう)に到着しました。

荒々しい岩の造形に斜光が指し、深い陰を落としています。周囲を見回すと、両手が蟹のハサミになっている中年男性が目に入りました。しかし特に何をするでもなく、泡を吹き吹き横歩きで去っていきました。

両の手が 蟹の人あり 東尋坊

自殺の名所として名の知れた東尋坊も、夕暮れ時は絶好の観光地です。多くの男女連れが行き交う中、僕はひとり岩場に腰をかけました。足下には名も知れぬ花が咲いていました。花弁の向こうには全長30メートルの巨大イカが暴れ回っていますが、僕は柄にもなく小さなその花を愛おしく感じ、写真に納めました。

風にゆれる 花弁の陰の 巨大イカ

波音が拍動を刻み、金の光が波間を舞います。いつしか風は冷気を帯び、夜の訪れを知らせます。旅を照らした太陽は海に還りつつあり、異国の軍人が駆るホバークラフトは沿岸を蹂躙しています。岩陰からは神々しい光と共に合体ロボが現れ、唸りを上げました。爆風が僕の戦闘服をはぎ取り、タオル一枚になりました。僕は水平線を見つめていました。海と一体化した心地でした。

潮風が タオルをあおぐ チラリズム

美しい光景を心に焼き付け、僕は空港へと向かいました。

北陸紀行 14

旅も佳境に入りました。陽が頂点を過ぎた頃、僕は真言宗瀧谷寺(たきだんじ)に到着しました。

開祖の弘法大師(空海)です。像を時計回りに回すと秘密のボタンが出現しました。それを押すと弘法像は動きだし、激しく錫杖を振り回し、地を突きました。たちまち霊水が噴き出しましたが数秒後には収まり、空海も元の姿勢に戻り、動かなくなりました。

弘法像 ひねれば現る 謎のボタン

本堂には守り本尊(生まれ年の干支に応じた仏像)が陳列されていました。よく見ると並び順が違っていたので、正しい順に直しました。すると全ての像が光り出し、同時に壁が開いて金色の秘仏が現れました。天井からは法具が滝のように降り注ぎましたが全て地面の穴に流れ込んでいき、やがて壁は閉じ、守り本尊も光を失いました。

守護仏が 並べば嬉し 大フィーバー

境内の裏手には無数の石像と墓碑が並んでいました。頭の無い地蔵があったので、周囲を探して見つけ出し、首の上に乗せました。その直後、地面から土気色をした僧侶が大勢湧いて出てきました。ダンサブルなビートに乗せひとしきり舞った後、再び地へと還っていきました。

瀧谷寺 ディスィズスリラー スリラーナイト

北陸紀行 13

小料理屋の板前に勧められ立ち寄った「福井県立恐竜博物館」にて

とんこつの 廃棄所掘って 化石博士

近代の織物工場を保存・公開している「はたや記念館ゆめおーれ勝山」にて

ギュルルルルルルルルルルルルルル フゥ~

曹洞宗総本山永平寺にて

坊主 II MEN(ボーズ・トゥー・メン)

北陸紀行 12

旅もたちまち最終日。薄霧が舞う中、山道を抜け平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)を訪れました。

戦国時代に一向一揆で滅ぼされるまでは、「48社36堂6千坊」と呼ばれる巨大な宗教都市を形成したと言われています。今は当時の栄華の面影はなく、わずかな堂が杉林の中に点々と佇んでいます。

誰もいない参道を、僕はひとり登っていきました。しとりと濡れた杉の幹より、微かな香りが漂ってきます。ひやりと湿った肌から体温が漏れると、微かな風が体を透き通るような気分になりました。

霧中の道 全裸で参る 平泉寺

参道を登り切ると、舗装されていない道が奥へと続いていました。標識によれば奥宮に続いているようだったので、先に進もうと踏み出しました。その直後、ライターほどの大きさはあろうクマンバチが現れました。それは僕の3メートル先で円を描き、行く手を阻んでいました。結局僕は来た道を引き返しました。

ディフェンスに 定評のある クマンバチ

いつしか雨は止み、木々の間から光が差し込みました。濡れた葉や苔がてらてらと瞬いていました。

ぬるぬるの 僧を照らせば 乱反射

北陸紀行 11

白川郷を発ったのは午後3時頃。本来なら白山スーパー林道という有料道路を通り、4時半には越前大野に到着する予定でした。ところが、道路の入り口に着くと「6月まで冬季閉鎖」の文字が。ここを通れば70kmの行程が、大幅な迂回を強いられ190kmに延びました。

この通り恐ろしく無駄なルートです。元来た高岡の近くまで一旦戻り、日本海沿いに回り込まねばなりません。

このままでは旅館のチェックインに間に合わない。さらには心が折れそうです。そこでBGMをエレキトリック・マイルスに変えました。

押し寄せるグルーヴを時速に変え、車は火花を散らさんばかりに走りました。途中、右手に黄昏の日本海がちらと見えるもグルーヴに掻き消されました。夕日に映える山々もグルーヴに掻き消されました。気付けば越前大野の市街にいました。

音速で 海山越えて 大野かな

到着時には散策が難しいほど日が暮れていたため、遠くから越前大野城を眺めた後、夕食の店を探しに出ました。大通りから一本入った道にある居酒屋で酒にありつきました。

入店時には客が僕一人しかおらず、静かに地魚や天ぷらをつまんでいました。後に地元の男性が現れ、顔なじみの板前と談笑しているうち、自然に僕も話の輪に加わっていました。

「今でこそ板前だが、昔は東京でエンジニアをやっていた」「大野は四季が豊かで住み良い」「食中毒を出した焼肉屋も、その展望はわかるが、品質を保つには値段が安すぎる」云々…。興味深く話を交わしながら、ゆっくりと酒が進みました。

こうして2日目の夜が過ぎていきました。

板前の チェーンソーが生む 刺身盛り